借金問題の歴史

借金にお悩みの方は、いつの時代にもいらっしゃいます。今のように消費者金融がテレビでCMをするような資金力がなかった時代から、金融業者は存在しており、返済ができなくなって困る人々も存在していました。

昭和29年、出資法が制定され、それまで規制のなかった高金利に対して、刑事罰が科されるようになりました。また、昭和30年代の半ばには、団地金融という、「無担保・無保証」「即日決済」というようなチラシを団地の住民に配り、融資希望者をつのるという方法で、顧客を増やす貸金業者が現れました。この後、貸付の対象を主婦からサラリーマンへと変化させていったのが、サラ金の始まりです。武富士なども、この団地金融から発展していったという歴史があります。

昭和58年ごろ、「第一次サラ金パニック」と呼ばれる時代がありました。「借金地獄」という言葉も生まれ、高金利と厳しい取り立てが社会問題となりました。サラ金からの高金利の借金が原因での自殺や夜逃げなどがしばしば大きく報道され、社会問題となったのです。当時はまだ現在のように貸金業者の取り立てに対する規制が厳しくなかったため、お金を借りて返済ができない人に対しては、非常に厳しい取り立てがされていたために、借金を苦にして自殺や心中、夜逃げに追い込まれる人が数多くいました。

これに対処するための法律として、貸金業規制法や出資法(通称:サラ金規制二法)が改正され、金利の引き下げや、貸金業者への規制が強まり、いったんサラ金パニックは沈静化しました。

平成の時代に入り、アコムの「むじんくん」に代表されるようなサラ金のATMの急増、そしてバブル経済崩壊とともに、「カード破産」という言葉が生まれ、自己破産は、クレジットカードでの買い物をしすぎた人がする手続きであるというような誤ったイメージが一般的になってしまいました。マスコミが、話題性を重視し、破産イコール浪費というようなわかりやすい構図を生んだのです。実際には、浪費が原因とする破産はごく一部であるにもかかわらず、「カード破産」という言葉のイメージから、多重債務者は「無計画に借金をした人」であるというような、批判的な見方が一般的となってしまいました。この時代を第二次クレサラパニックなどと呼びます。平成14年ごろには、自己破産件数が年間20万件を超えました。

このような社会的な情勢から、多重債務の救済に積極的な弁護士もあまりおらず、債務者は孤立した状態でした。当時は過払い金などという言葉も一般的ではなく、法テラスも存在していませんでしたから、債務整理などというのはお金にならない仕事、費用がもらえない仕事とされていたということもあります。

平成14年、司法書士法が改正され、司法書士に簡易裁判所における代理権が付与されました。このころから、過払い金が債務整理に重要な位置を占めるようになります。まだ一般的には知られていませんでしたが、法律家の間では、過払い金の存在が認識されるようになりました。

サラ金は銀行と資本提携を強めていきます。アコムは平成16年、三菱東京フィナンシャルグループと資本提携し、平成20年には連結子会社となっています。

平成18年ごろから、貸金業者の取引明細の開示義務を認める判例や、貸金業規制法43条のみなし弁済規定が厳格に解釈する判例、各種の消費者に有利な判例が出そろい、過払い金の返還が容易になるとともに、貸金業法の改正につながっていきます。

現在、改正貸金業法によりグレーゾーン金利は撤廃され、過払い金の返還もピークを超えたといわれています。自己破産の件数も減少してきています。しかし、貸金業法改正による貸し出しの総量規制により、新たな借金ができにくくなったことから、ヤミ金融が増加しているということも言われています。ヤミ金も、一昔前のイメージとは異なり、ソフトに長期間(違法な)利息を取り続ける路線に変化を遂げているようです。

平成22年6月18日、改正貸金業法が完全施行されました。同年9月28日、消費者金融最大手である武富士が会社更生法の適用申請を行いました。

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